【一連のライブハウス問題考】②.コロナ禍での一連の流れに対する考察

意外と早く②がw

 

てなわけで、前回の投稿でライブハウス自体の現状、問題点を書いたわけですが。

いよいよ今回のコロナ騒動での流れに関して。

 

ことの発端としては、初期の段階で大阪などのライブハウスに行った客が起点となり、当時としては大きなクラスターを形成してしまい、それがメディアによりクローズアップされたため、ある種クラスターの“象徴”としてやり玉に上がってしまった、ということは概ね共通の認識で良いと思います。

 

 
これに伴い、他業種よりも先だって自粛要請が出されることとなり、著名人の発言も相まって、それが「過剰」との議論がおこり、そこから「補償の無い休業要請はライブハウスに死ねと言っているようなもの」「文化への理解が低い」といった内容にまで飛躍していった印象です。

 

 
補償云々に関しては、この後の緊急事態宣言で他業種からも同様の声が起こったため吸収された形になりましたが、現在は「一番先に休業で一番後の解禁なのにそこに対する補償が充分ではない、そこは芸術文化に対する軽視だ」といった論調にシフトしている印象があります。

 

 
上記は多少の認識の違いはあれ、まぁ「客観的な事実」でよいと思うので、これを前提とさせていただきます。
 

1.ライブハウスを「自粛の重点ポイント」としたのには理由・正当性がある

まず、「クラスター化の元凶」に関してですが、前回の署名のテキストをまた引用させていただきます。
 
・ライブハウスへの本当の休業要請緩和を求めます


>ライブハウスに対して、何か誤った認識をお持ちではありませんか?署名発起人は音楽家でライブハウスをお借りして音楽イベントなども開催しております。お客様の人数は多くて30人ぐらいです。しかも、オールスタンディングではなく、テーブルやイスを用意してのイベント内容です。お客様同士で向き合うことは多くないです。

 
この書き方の裏には「これ位の規模ならば開催してもOK」という主張があると思うのですが、大阪などでクラスター化したライブハウスは、この程度の規模のハコという事実と相反しているように思います。

ネットでHPなどを調べただけですが、通常営業下ならば動員は数十人規模でそう混雑するようなハコには見受けられませんでした。

 

 
ここからはボクの私感で素人考えなのですが、ライブハウスやジムが目立った反面、ラッシュの通勤電車(緊急事態宣言下でも都心では7割位は乗っていた)や宣言下でも混雑しまくっていた大型スーパーなどが大きな感染源になった形跡がない(なってたら確実に数十万人規模でしょ?)ことを鑑みるに、クラスター化の要因に「不特定多数の人間が一定時間同じ空間に留まり、そこで平均以上の発言や呼吸を要する」という条件が大きい気がします。

 
収まったと思った韓国でも、ナイトクラブで第2派が発生したことからもこれはある程度事実といっていい気がします。
 

 
んで、この条件に照らし合わせた時に、思いつく業種って実はそう多くなくて、ジム、ライブハウス以外だと最大のクラスタ源である病院、学生が騒ぐような居酒屋、キャバとか夜系・・・んー他に何がある?って感じで(「不特定」ではないけど学校や各種教室系もそれに近いは近い?)。

とにかく「名指し」されたトコが感情的なもので正当性が無いか?というと必ずしもそうではない気がします。

余談ですが報道の後半をリードした「パチンコ屋」が外れていたのも、感情的なものを除けばあながち正当性が無いわけではないのが分かります、パチ屋で大声で会話しないでしょうからね…

 

 
いずれにせよ、ライブハウスを「自粛の重点ポイント」としたのにはある程度の理由・正当性があり、たまたまクラスター化が目立っただけでという主張を全面的に通すのは無理があるとは思います。

 

 

 
2.「補償の要請」はただの労働争議のようなもので「文化」とは無関係

ライブハウスに関して何かややこしく胡散臭くすら感じる一番の問題点は…

「補償問題」に関しては単なる「営業・労働問題」なのに、そこに『文化』だ『芸術』というワードを意図的に混ぜて論じたこと

だと思います。

 

 
キツい言い方をすれば、休業要請されたライブハウスはシンプルに「店閉めろっていうならその分の金をくれ」とだけ言ってれば良かったんですよ、これは理にかなっているし真っ当な主張でしょう。
 

 
それなのに、『表現の場を奪うな』『国は芸術文化を軽視している、理解が無い』といった、見当違い極まりない台詞をさも正当性があるように散りばめ、これにメディアや一部プロミュージシャン・著名人なども乗っかったことで“逆に自分たちの首を絞めた”という印象があります。

 

 
冒頭にも書きましたが、先だって報じられたことでクローズアップされる形になった休業補償問題が、その後の緊急事態宣言によって他業種も同じ状態となり”吸収”される感じになったのがその証拠だと思います。

 

『文化』なんて言葉を持ち出すならば、居酒屋やレストランには「食文化」があり、工場には「ものつくり文化」があるわけで。
 

 
その中で音楽や舞台は特別などと思っているならそれは思い上がり以外の何者でもなく、かつその手のジャンルでそこそこの地位の人から、普段からそう思っている本音がちょこちょこダダ洩れてしまったというのは大きな損失ですらあると思います。
 
音楽や演劇好き以外が、ミュージシャンや役者が主張する内容に薄っすらと生理的な嫌悪感を抱いてしまう理由はここにあると思います。
 

 
一方でこの手の災害などがあると、明石家さんまが決まって言う『医者になりたかった、こういう時に芸人なんて何の役にも立たない』という台詞に“トップの姿勢・思考”には真理があるとうならされますね。

 

 
3.「最初で最後」は仕方ないのではないか?

ちょこちょこ聞く「一番最初に自粛要請が出て、解除は最後ってのは酷い」という論ですが、これは…それこそ…理不尽な部分はあるが仕方がないと感じます。

 
シンプルに「優先順位」の問題として、生活に密接する部分である“食住医衣”が先立って行われるのは当然のこと、という話。

 
たまに“のーみゅーじっくのーらいふ属性”の人が目をひん剥いて「音楽やライブは生活の一部で欠かせないものなのよ!!」とか言ってるのを見かけますけど…

申し訳ないですが…この事態では…

 

平時にはいくらでも叫んでね~、でも今いうとこ?、つかそれ“衣食住あってのもの”って分からないの??

 
で一蹴、な案件だと思います。

 
「それに伴う補償」を求めるのはいいと思うんですが、「最初で最後がおかしい」と主張するのはオカシイというのは当事者側が気付く案件だと思います。

 

 
4.芸術文化に国が介入、税金を投入する意味
 
最後は「芸術」補助そのものについて。

ここでは度々登場する、私が信奉する論客「都村長生」氏が、橋下徹が大阪市長だった時代に「文楽協会への補助金を削減する」という問題に対して論じたテキストを文末に掲載しておきますのでご一読を。

 
ポイントは以下

 
芸術を育てるのは歴史的に言っても「芸術に対する思い入れのあるお金持ちのパトロン」であって、予算を消化することと自分の天下り先を作ることしか考えていない日本の行政(役人)というのは、芸術を育てる主体としては最もふさわしくない組織である。従って、行政は「芸術の育成」などというものに税金を使うべきではない。そもそも、競争型民主主義世界において「行政が芸術を育てて花開かせた」などという事実がないことは歴史が証明しているのだから、根本的に行政が「芸術文化を振興する」などという目的を掲げること自体に無理がある。

 

 
「文楽」という伝統芸能に関して語った内容ですが、これを読んでボクが一番初めに思いついたのが「アニメ・ゲーム」分野です。

こっち方面に詳しくは無いんですが、ご存知のように国が「産業」としてこれらを押した結果、ある程度のシェア拡大などには繋がったと思うんですが、その実、中身的には”散々たるものに変り果て”、旨味は中国、アメリカなどに抜き取られ…と芸術・文化的側面からプラスにはなってないように感じます。

 
また『税金で生き延びているような業界に未来はない』は紛れもなく真理かと。
 

 
個人的な意見としては、ここは嫌われるかもしれないけど…ミュージシャンの主張が…

 
『何にもしてくれない日本FUCK!!、国なんぞに頼らずに俺はサバイブするぜぇ!!』
 

 
ならある程度の共感とカッコよさを感じるんですが、どうも今回…
 

 
『何にもしてくれない日本FUCK!!、とにかく金よこせぇ~!!』
 

 
と言っている人が多数いる印象がありまして、これは正当性云々ではなく感情的に…

”カッコわりぃなぁ”

と。

 

昔から好きだった人に、ガッカリすることが多かったのが寂しいんですよねぇ…

 

 
んで、芸術を育てるのは歴史的に言っても「芸術に対する思い入れのあるお金持ちのパトロン」という部分に関しては、内部的なものとはいえ若手芸人に融資(という名の援助)をした松本人志は流石、という印象です。

 

 
上記を踏まえ、個人的な意見を述べれば

 
もちろん医療機関などへの寄付・支援も大事だとは思うんですが、B’zやミスチルといった数千万~1億程度の出費は出来そうな先輩ミュージシャン、彼らが率先してライブハウスや若手バンドへの支援をすべきでは?という気がします。

 

 
とにかく「生活」そのものではなく、「文化・芸術」的な面の保護を国に求めるのは危険だしちょっと違う、というのはあると思います。

 

 
ふう・・・長くなりましたが・・・

 

 

ボクの一応の結論としては以下となります。

 

・ライブハウスを「重点自粛ポイント」とした政策には一定の正当性がある
・「店の休業補償を求めること」と「音楽文化を守ること」は別問題
・芸術の保護に国が介入するのは危険

 
これ書いてみて自分の中でだいぶまとまったな…この手の主張から感じてた”薄っすらとした生理的な嫌悪感”を自今分析できたのは大きかったっす。

 

 
んでわでわ。

 

 

 




 

 

※以下、都村長生氏テキスト引用

少し前に橋下市長が「文楽協会への補助金を削減する」と言って、ちょっとした騒ぎになりました。橋本氏の主張は「毎年1億円を超える補助金をどんぶりで支給しているが、その使い途が不透明である」というのが主旨で、併せて「文楽の営業努力が足りないのではないか?」という話に展開していました。一方、文楽側からは「道具代が高い」「広告代も出ない」「まともに生活できるのは50歳を超えてからだ」等々の苦しい現状を訴える声が相次ぎ、これらのやりとりに対してメディア等では「橋下氏は文楽を知らなさすぎる」「文楽は大阪の貴重な伝統文化だ」等の反論が起き、「文楽を守れ!」という論調が目立ちました。結局、これは「文楽はどこまで税金で守るべきなのか?」という話だと思うのですが、文楽に限らず、日本の伝統芸能の継承については、どう考えればいいのでしょうか?

エンタテインメント(演芸興行)は税金で守るべきものではない

 芸術文化に対する行政の関わり方については
(1)芸術を育てるのは歴史的に言っても「芸術に対する思い入れのあるお金持ちのパトロン」であって、予算を消化することと自分の天下り先を作ることしか考えていない日本の行政(役人)というのは、芸術を育てる主体としては最もふさわしくない組織である。従って、行政は「芸術の育成」などというものに税金を使うべきではない。そもそも、競争型民主主義世界において「行政が芸術を育てて花開かせた」などという事実がないことは歴史が証明しているのだから、根本的に行政が「芸術文化を振興する」などという目的を掲げること自体に無理がある。

(2)百歩譲って行政が芸術に税金を使うとすれば、既に評価の定まった貴重な芸術作品や文化財の有形品が国外に流出したり朽ちたりしないように守ることだけだ。しかし、それも基本的には芸術に対する思い入れのあるお金持ちのパトロンがやればよいはずだ。
というものです。これが私の基本的スタンスです。

 では、文楽に対する補助金というのは何の意味を持つのか? 文楽という無形文化(?)を「守る」という目的なら補助金に意味があるのでは? と考える人がいるかもしれませんが、それは考え方の出発点が間違っていると言わざるを得ません。すなわち、「文楽とは芸術なのか?」という根本的な前提の話が抜けているからです。私に言わせれば、文楽は芸術ではなく、エンタテインメント(演芸興行)ですよ。文楽(人形浄瑠璃)に限らず、歌舞伎も能も狂言も、落語も講談も浪曲も、さらに言えば吉本新喜劇も全部、同じエンタテインメントです。

 歴史的に言えば、それらはすべて“河原乞食”をルーツとする大衆演芸なのです。それに対し、行政が「これが芸術性が高い、これが低い」等とランクを付けること自体、それこそ“芸”に対して僭越だとは思わないのかしら? 例えば、文楽には税金を投入し、吉本にはなぜ税金を入れないのか? 誰かきちんと論理的に説明できますか?

 エンタテインメントというのは基本的に、人々(客)が求めれば流行り、求められなくなれば滅んでいくものです。だから、エンタテインメントに携わっている人は、自らが滅ばないように常に人々のニーズを探り、工夫し、人気を保とうと必死でマーケティングをして頑張っているわけです。それでもニーズに応えられずに滅んでいったエンタテインメントは過去にいくらでもあります。いずれにしろ、エンタテインメントの栄枯盛衰というものは客が決めるものであって、どう考えても行政が税金で守るべきものではない、というのが私の意見です。

税金で生き延びているような業界に未来はない

 では、文楽側はどうすべきなのか? を考えてみましょう。文楽協会からは「ものも買えない、食べていけない・・・」等の苦しい現状が訴えられているそうですが、要するにそれは、今の文楽が人々(客)に受け入れられていない、すなわち、人々が文楽を求めていないからでしょう。すると、文楽が滅びるのが嫌だというのなら、自ら努力をして今の人に受け入れられるようにするしかない、あるいは、文楽に思い入れのある金持ちのパトロンを探すしかない、というのが正常な発想でしょう。

 ただし、その「金持ちのパトロン」とは、決して行政ではありませんよ。中世の王様やどこかの将軍様ならまだしも、民主主義国家の行政は私たち国民の税金で運営しているのですから、「苦しいから税金をもらおう」という発想は、エンタテインメントとしては全く発想が間違っています。

 こういう話をすると必ず、マスコミや文化人と称する人たちから「文楽は日本が守るべき貴重な文化だ」と声高に主張する人が出てきますが、それは根本的に間違いです。文化や芸術を守るのは国や行政ではなく、目の肥えたパトロンです。そうやって芸術を育て守ってきたのが世界の歴史なのです。文楽をどうしても芸術、文化だと言い張るのなら、そんなに素晴らしいものなら、その人がパトロンを見つければいいだけの話ですよ。パトロンがつかない芸術は本当の守るべき芸術ではない・・・それが今の文楽の姿です。

 一方、文楽をエンタテインメントとして生き残らせたいのなら、その文化人と称する人が自分でお金を払って何度も何度も見に行けばよい。あるいはサポーターグループ等を作って、自ら観客集めやパトロン集めに奔走すればいいではありませんか。それが「ファンがエンタテインメントを支える」ということですよ。それもせずに「税金で守れ」と言うのは、あまりに虫が良すぎる話だと思うのは私だけでしょうか?

 また、それらを全て実行したとしても、結果は誰も文楽を見に行かないのが現実でしょう? 人気のない一(いち)エンターテインメントに過ぎない文楽を、何か崇高な芸術だと勘違いしているマニアックな人々がヒステリックに叫んでいるとしか私には思えません。

 ちなみに、文楽は今、重要無形文化財に指定されており、文楽界から人間国宝も数多く認定されていますが、百歩譲ってそれを認めたとしても(私はおかしいと思っていますが)、行政の恩恵にあずかるのはそれで十分でしょう。その上に毎年1億円もの補助金をもらって、なおかつ生活が苦しいということ自体、文楽は既にほとんど滅んでいると知るべきです。いずれにしろ、文楽を守りたいなら、自助努力で人々に受け入れられるようにするしかない、税金で生き延びるような業界に未来はない、というのが私の意見です。だから、この点に関しては橋下氏の行動を100%支持します。

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