チャゲアスそこそこ昔話 -初ライブ LIVE UFO 93′ ~夢の番人~-

タイトルはアマゾンTVのパクりです。

自分内に”NEW”が無いと、埃の被った引き出しの奥を引っ張り出すしかなくなります…汗。

時は1993年、初ライブに参戦した中学生のお話。

まぁ似たようなことは何度も書いてますが…汗
 

 
『SAY YES』はそうでもなかったんですけどね…
『太陽と埃の中で』に一気にやられたボクに取ってCHAGE&ASKAは文字通り大スターであり『神様』でした。

 
そんな少年が『生で見たい』と思うのは自然の流れ。
 

 
そんな純朴な?田舎少年。『コンサート』といえば『のど自慢』のように「XX市民会館」的なところで、多少の照明やセットが置かれた平場の舞台でやるものという認識です。

武道館などで行われるショーアップされたライブの規模なんて知る由もありません。

今のようにYOUTUBEがあるわけでなし、しかも当時は有名バンドのライブ映像はあまりテレビで流れる機会が無かったので、見かけるのは『CDデータ』『What’s IN』『GB』なんかの写真くらい。

「ライブビデオ」なんてクソ高いのでとても小遣いでは買えませんでした。

ただ、入手経路は忘れたのですが、BSで放送された「SAY YES」ツアーをダビングしたビデオ(赤衣装ベースで『Love is alive』で岩崎宏美が出てくるやつ)を何故か手に入れたのでそれを擦り切れる位見てましたね。

歌番組の録画を除けば「動くチャゲアス」はそれが全て。

 

このビデオのMCとか、今もほぼ丸々そらで言えます

 

 
兎にも角にも経験値がその程度の中、はじめて見に行ったライブが『LIVE UFO 93’ ~夢の番人~』でございます。

 
『YAH YAH YAH』ヒット後初のライブで、通常ツアーではなく東名阪のみで行われたイベント。

 

今の『お台場冒険王』的なテレビ局イベントの第一回だったはず(「LIVE UFO」名義のコンサートは翌年以降も米米CLUBやドリカムがやってた)。

 

 
ちなみに当時「日本一チケットが取れない」と言われていたのですが、僕は割とすんなり取れてまして、これには関東の田舎ならではの『裏技』がありました。

既に「チケットぴあ」などではある程度ネットワークとデータベースによるチケット管理は始まっていたはずですが、まだオンライン連携が完全なリアルタイムではなかったと思われます。

常時接続なんて夢のまた夢、ダイアルアップですからね…回線速度がとても持たないでしょう。

だから「電話受付分」とは別に「店頭販売分」のチケが用意され、販売店ごとに予め決められた枚数が割り当てられていたと思われます。

 

 
もちろん都心の窓口の方が割り当て数は多かったはずですが、「需要と供給」でいけば圧倒的に田舎の倍率が低かったわけです。

例えば…渋谷のぴあが1000枚で、ウチの田舎が10枚だとしても分母が桁違いという。
 

 
都内では徹夜組がワンサカいて、それでも取れなかったなんて話があったはず。
一方でこちらは始発電車で行って窓口に並べば、”前に数人いる”程度。

一回オバサマ集団がメチャメチャ並んでいて焦ったんですが、みんな宝塚を買いに来ていたなんてことがありましたが。

 

 
『LIVE UFO ’93』と次の『史上最大の作戦』の2ツアーはこのやり方で店頭GET出来てました。
その次位からオンラインが整備されこの田舎店頭メリットが無くなるんですが、一番ムリゲーだった頃のツアーをゲット出来たというのは大きかったですね。
 
ちなみに同行者は…母です…遠い目
 

 

 
さてライブへ。

会場は代々木第一体育館。

ゆーてライブ自体が初めてなので、ここがどの程度の規模の会場かすら分からないわけです。

“ライブ会場”なんて『日本武道館』と『横浜アリーナ』のふたつしか知らないし。
だから、知らない会場でこんだけ広いなら、有名な武道館なんてさぞ広いんだろうなぁなんて思った記憶があります(その後クラプトンで初めて武道館行った時『せまっ!!』となったw)。
 

 
会場周辺では色々なイベント、出店があって文字通り「お祭り」だったのを覚えています。
たしか第二体育館ではブルーハーツ(もうハイロウズだったかも)がライブをやってたはず。

もっともこの手のイベントって色々待つ割に内容がないっていうのも現在まで引き継がれているようですが…苦笑

 

 

 
会場にIN.
 
席は1階スタンド中央位、よく武道館などは”豆粒”と揶揄されていたので、そのイメージから行けば割と見えるじゃんという感想でしたね。
 

 

 
ほどなくして客殿が落ち…緞帳に映像が流れ始めます。
まずは当時「スバル=チャゲアス」って位に定着していたお馴染みのCMが。

今は無き軽自動車「VIVIO」(だっけ?)と、走り屋に確固たる地位を築いた「インプレッサ」共にチャゲアス。
 
確か会場限定でTVでは外国の俳優(カイラマクラレンだったかな)がやっていた決め台詞をチャゲアスのふたりが演じるいうっていう小ネタがあったはず。

 

 
その後お馴染みの小芝居劇場が始まります。

リーマン(ASKA)と遊び人(Chage)がUFOに拉致られて、クローン化されたふたりがカプセルで地球に射出される、とかそんなストーリー。

中坊のミーにはあれをまだ真っすぐに笑える純粋さがあったわけですが…苦笑
 

 

一方で「チャゲアスのコンサートが映像で始まり映像で終わる」という基礎知識すらなかったので…

 

 
コンサートって映画なの??、本人出てこないの!??

 

 
素で不安になっていた当時の自分を「よしよしヾ(・ω・`)」と撫でてあげたいです…。

 

 

 
そんな中、映像のカプセルが地球に向かうのにリンクする形で…


・『GUYS』のファンファーレ

・緞帳落ちる

・“生チャゲアス”のカプセルがステージ上空から降りてくる

 

 
これに伴う大歓声。

脳内、処理できず。

 

当時のチャゲアス、夢と現実の狭間をマジで作ってました。

 

 
まだネットも無く、チケットも取れないから複数回組も少ないため、“会場のほぼ全員が何の情報も無く初見”という環境も良かったと思います。
 

 

あとはまぁベタですが『生の迫力』の凄さよ。

文字通り”圧巻””圧倒”でした。

 

 
ちなみに、この時点で聴いていたアルバムは『SUPER BEST2』『TREE』『GUYS』の3枚なんですが、イベントならではのベスト構成で、この3枚+『YAH YAH YAH』でセットリストの8割はカバーしていたのも良かったです。

 
後半かアンコールでやると思っていた『SAY YES』を割と前半でやったのにも”おおっ!?”となりました。
 

約30年経ちますが、1回見ただけなのに大体のセットリストや流れ、MCの内容を覚えてますからね…。

当時の”濃度”がいかに凄かったかが分かります。
 
 

『GUYS』『夢の番人』に次ぐ『CRIMSON』で…

生で聴くとCHAGE曲、いいじゃん

と思ったのもハッキリ覚えています。

 

 
今となってはこの頃の”ザ・衣装”という感じの衣装もいいですね。

ワイシャツを肘上あたりで止めるスプリングのバンドみたいなの、100均で買ったなぁ(ああ、また頭痛が…)

 

 
そういえば『光と影』ってこの時しか演ってないんですよね(ちなみにこの時「リードギターを弾くChage」というレアな演出があります)。
 
この曲大好きなんでどっかのソロコンでやって欲しいなぁ~。

 

 
中盤の山場はセンターステージ。

フルバンドのセットを上空に吊るすという、なかなかの荒業を展開。

ピアノとASKAのみ床下から登場、『Moonlight Blues』の1番をピアノだけで歌い、後半よりバンドインって感じだったと思います。

 

 
たしかムーンライトはASKAひとりで歌い、その後Chageとホーンセクションが出てきて『Hung up the Phone』、ASKAとバンド退場でChageが残る、そんな流れだったかと。

 

 
Chageがセンターステージでしっとりと『嘘』を歌い上げ(この時点では”知らない曲”なんすけどw)曲終わりと同時に…

 

 
『太陽と埃の中で』キターーーーー!!!!

 

 

この演出、マジで神。

 

 
イントロでASKAが招き入れる仕草をし、花道を駆け戻って来たChageとハイタッチした瞬間は鳥肌立ったなぁ…。

 
間奏でChageがジャケットを脱いでスタッフに投げるのとか、ホント画になったのよ。
 

 

続いて『London Power Town』『モナリザの背中よりも』という懐かしのヘッドマイク曲。

織田裕二のモノマネとかしてたなー(『振り返れば奴がいる』の時期ね)。

この手のダンスとか小ネタを楽しんでやれてたのはこの辺りがMAXな気がしますね…。

 

 
ちなみにこの時期、チャゲアスのコンサートが業界の演出におけるひとつの”基準”となっていたため…、

初期B’zのコンサートの流れがモロパクリ

ブレイク直後のミスチル桜井も踊らされていた

 

 
などの黒歴史を各所にバラ撒いておりますw

 

 
クライマックス、『僕瞳』『YAH YAH YAH』『ロマンシングヤード』という”印籠”のような一発KOの流れの後…流れたイントロ…

 

 
『PRIDE』
 

 
“なんだこのドエライ名曲は!?”と。

 
ライブでの生演奏が”初プライド”、これは最高の贅沢・幸運でしたね。

ちなみにかーちゃんも『いい曲ねー』と感動してましたw

「ヒット曲=名曲」と思っていたので、知らない曲でこんないい曲がある、ということにも驚きました。

 

 

 
ラストは『no no darlin’』

アンコール無しってことも知らなかったのと、ラストといえばビデオで見ていた『BIG TREE』熱唱のイメージが強かったので、正直ここは軽く拍子抜けだったのを覚えてます。

PRIDEのインパクトもあり”あれっ?おわりなの…?”って感じでした。

 

 

とはいえ、トータル大の大の大満足な内容。

“こんなにスゲーんだ”とシンプルに圧倒され・感動ました。

ステージセットや演出も”贅を尽くした”という感じで、チャゲアスに限らずこういうライブは今は難しいでしょうね…ひとつの「時代の産物」といえるものだと思います。

 
とにかく少年を”沼”に沈めるには十分すぎる内容でした。
 

 

 
最後にこれを書くにあたり、“1993年”というのがどういう年だったかをwikiで調べたのでざっと書いときます。
 

 
首相は宮澤喜一のち細川護熙。

一番大きな出来事はおそらくJリーグ発足、ドーハの悲劇があったのもこの年。

船橋にザウスが開業してます

 
あと北朝鮮は当時からもうミサイル打ってるんですね…

 
「ヤクルト日本一」「ナタデココブーム」「若貴曙」…ふむふむ
 

小学生男子を中心にハーフパンツが定着。長ズボンに駆逐されつつあった半ズボンがほぼ消滅ってのがいい味出してます。
 

なんだろ…「そんなに昔」って感じがしないのはボクだけなのか…

 

「きゃりーぱみゅぱみゅや菅田将暉が生まれた年」と言われたら、むしろ割と最近な気がしません…???

 

 
んでわ。

 




コメント

  1. ネコ より:

    同世代の者です。楽しく拝見させていただきました。
    当方九州の片田舎なので当時コンサートへは行きたくても行けませんでした。もし行ってたとしたらションベンちびってたと思います。オープニングの小芝居よく覚えています。ビデオで観ました。擦り切れるほど観たなぁ。
    今後もブログ楽しみにしております。

    • せっきー より:

      コメントありがとうございます。

      ビデオは「擦り切れるほど」ではなくマジで「擦り切れて」ましたよねw
      違いも分からずに3倍で撮ってたりしましたしw

      「情報がない」ってのがいい側面はありましたね。