ノムさんの思い出①

ノムさんこと野村克也氏が亡くなりました。

思えばガッツリと“ファン”だった著名人の訃報は人生で初かもしれません。

90’ヤクルトど真ん中な僕的には、大きな寂しさを覚えますね。

 

去年のOB戦、古田や池山に抱えられて打席に入る姿を生で見れて本当に良かったです。

 

 
さて、そんなノムさんを自分の”記憶”を軸に追ってみたいと思います。

 

 
『チャゲアスはSAY YESの前から好きだったんだー』的な、世の中で最も無意味でダサい自慢でお馴染み『売れる前からこのバンド知ってた』的な言い方をすれば、僕は野村政権前、関根監督時代からのヤクルトファンです。
 

んで時は80’後半・昭和末期、千葉の田舎にいた小学生の環境を話すと…

 

プロ野球=読売ジャイアンツ

でした。

 

というか…その感じの最後の年代だと思います。

 

巨人戦はまだ全試合TV中継されてたし、お茶の間共通の話題として「プロ野球の動向」がギリ残っていた感じだと思います。

 
その象徴が…

 
学校の授業潰して、先生が日本シリーズ流して見てたことあります

 

これで何の問題にもならなかったんだからいい時代ですな。

 

 
あと「科学」と「学習」っていう、学研と教育委員会の癒着の賜物な雑誌が毎月校内で売られていたんですが、その『学習』にアニメ化もされた『童夢くん』という巨人軍啓発マンガが連載されてましたね。

 
ちなみに童夢くんが公式戦で初対戦した打者は長嶋一茂です。

 

 
そんな環境下の千葉県、まだロッテが来る前、そもそもパリーグはオールスター戦で見る一部スター選手と日本シリーズに出てくる西武以外“存在自体が幻”のような存在。

 
“必然的に巨人一択”となるわけです。

 

 
そんな中でヤクルトファンのミー。

理由はじーちゃんが何故かヤクルトファンだったから。

そのじーちゃんがファンの理由も、「ヤクルトが好き」というよりも「アンチ巨人」で、残りの中でヤクルトが在京球団で近かったというフワッとしたものでしたね。

 

もっともヤクルトファンには今もこの”フワッと感”があり、それが良い味を出しているのですが。

 

 
んで、物心ついた時点でのヤクルトがどんな感じだったかといえば…ひとこと…

弱かった

4、5位の常連です。

 
ぶっちゃけ、ガチいじめの材料になるレベル。

 
ただ野村政権の前から、人気は出てきてました。

『新人類』なんて言葉が出ていたころで、それに乗って池山、広沢、内藤の3人を中心にファッション誌やバラエティ番組なんかにも露出がありましたね。

 
そこに長嶋一茂入団という一大イベントが発生し、一種の「ヤクルトブーム」が起こります。

 
一茂の入団により、ゴールデングラブ常連でありバントの名手、打率も2割7分位は打っている文句なしの名選手、角富士夫がスタメンから外されるのを見て、田舎の少年は”オトナノセカイ”の怖さを知りました…苦笑。

 

 
この辺の記憶、歴史の付け替えがすでに起こってる感じですが、これらは野村政権以前の話です。

 
特に内藤ですよ。
コイツに関しては自身が歴史を捏造してますがw、内藤の絶頂期は関根監督時代です。

 
池山が「ブンブン丸」などと言われていたのも関根政権下。

 

 
てなわけで当時のヤクルト「弱いけど若い選手が明るく・ノビノビやってるそこそこ人気球団」て感じの地位を得ておりました。

 

 

 
ただまぁ「負けてよい」ということはなく、バリバリのメジャーリーガーであるホーナーを取ってきたりなど補強もしていたし、シーズン前は毎年「台風の目」と言われてました。

でも「終わってみれば定位置」が続く中での関根監督解任だったと記憶しています。

 

 

んで次期監督として出てきたのがノムさんですが。
 

 

 
少年のミー、王、長嶋、金田といったレジェンドの名前は知っていましたが…、正直全く知らなかったです

当時まだ60前後だと思うんですが…第一印象として…関根翁に続き…またおじいちゃんかと思ったのは覚えてます。

 

 
んで…どこからともなく…『ID野球』というコトバが先行して出てきた印象でした。

「データを重視する」と言われても何のこっちゃなわけで、それよりもファン的にインパクトが強かったのが『池山に大振りはさせない』といった旨の発言です。

今思えば印象操作やマスコミに対するリップサービスを多分に含むということも分かりますが、当時のミーにしたら”ふざけるな!!”という憤りしかありませんでした。

 
池山と言えば「三振かホームラン」の典型、そして”ブンブン丸”の愛称で知られるようにファンはそのスタイルを支持していたわけですよ。
 
もっとも…チャンスにことごとく三振する彼に『右打ちや送りバントが出来るわけない』と諦めてもいましたが…

 
余談ですが、池山に関しては野村監督を敬愛することで知られる落合も「池山は100三振しても30本ホームラン打つから怖いバッター、別に彼が3割打っても怖くはない」といった旨の発言をし、シフトチェンジには否定的な発言をしていましたね。

 

 
そんなわけで野村監督、ファンからしたらどっちかというと“否”の声の方が大きかった気がします。

 
ぶっちゃけ”監督が変わった位でヤクルトが強くなるわけがない”という諦めもあったように思いますが…。

 

 
そんな中迎えた1990年、ノムさん政権初年度初戦。

相手は宿敵、読売ジャイアンツ。

 

 
30年経っても覚えている試合のひとつですね。

未だに語り継がれる…篠塚、疑惑のホームランがあった試合です。

内藤が「ファールだ…」と呟きながら膝をつく様は、彼にしては珍しく画になるシーンだと思います。

 

 
あとヤクルトファン的には先述のいざこざ通り、クリーンアップの常連だった池山が8番だったというのもインパクト大でしたね。

 
ちなみに開幕の時点ではまだマスクは秦なんですよね。
 

 

てなわけで野村初年度の成績は5位。

見事な定位置でございました。

じゃあ、「かわらないじゃーーん」とファンが諦めモードに入ったかというとそうでもなく…

シーズン中盤からひとりの選手が”光”を見出しはじめます。

 

言うまでもないですが…

 

古田敦也

 

ルーキーにして5割以上という恐るべき捕殺率を誇る怪物キャッチャーが登場します。

現在、”甲斐キャノン”でお馴染みのSB甲斐が3割後半で球界No.1ということからも古田の捕殺率の異常さが分かります。

 

 
順位こそ振るわなかったものの、『野村ID野球、やるんじゃないか??』と少年ファンに期待させるに充分の”ノムさん元年”だったと思います。

 

 
― 続く ―

 

 

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