音楽とかギターとか育児とかテキトーに

どこぞの馬の骨が、ダラダラと浅い知識を殴り書くブログ。

「ワライモノ」と「ワルモノ」

文春砲もいいけど、エビゾーとか小室哲哉は放っといたれよ…

こういうのは“胡散臭さも伴った、何となく美談”としてフワッとさせておくべきもんだって…

あの辺の連中なんて元々愛人なんてゴロゴロいただろ~よ?、パートナーに不幸が訪れる人はみんな聖人君子じゃなきゃいかんのか??

その辺の裏を暴いて誰が幸せになるの?、と。ホントこの辺の線引きを上手くしてほしいですね。

もう“無粋”の極み。

特に不倫報道がそうなんだけど、最近の文春とかの写真週刊誌の何が怖いって、取材し書いて出してるヤツらが…

“自分はいいコト/正しいことをしている”

とガチで思ってそうなとこ。

下手すりゃ“社会に一石を投じる”位のこと思ってそうw

いやいやいやいや、オニイサン…と。

この手のゴシップ誌・醜聞記事の持つ意義ってのは…

成功者が粗やミスにより、地位や名声が一瞬にして凋落する様を見せることで、読んだ側の凡人が“後ろ暗い一瞬の満足感”を得る

“これだけ”

それ以外に1ミリの存在価値も意味も意義もない。

扱うものが薬物とか不倫だから「犯罪行為や道徳観への警鐘・抑止効果」なんかがあると思ってるなら大間違い。
そんな効果・意義は一切ない。

もちろんその“後ろ暗い一瞬の満足感”自体に結構なエネルギーがあったりするわけだし、まぁ退屈な日常を送る庶民に疑似効果による一定のスパイスをくれるという点では、スポーツ鑑賞や音楽鑑賞などの受け身の趣味、もしくは酒やたばこなんかの嗜好品的な役割はあるでしょう。

人間、誰しも大小はあれど潜在的な嫉妬や差別やいじめなんかに対する欲求があり、ある意味では日常それを押し殺している分、それを行使した(した気になった)時の満足感みたいなモンはバカにできないわけだし。
昨今の過剰な規制風潮からいったら尚のこと。

だからまぁ言ってしまえば「必要悪」のひとつとして、それなりの影響力、存在意義はあるでしょう。

 

んで、芸能人とそれに準じるような著名人達は、その“そのターゲットとなりうるのはある程度仕方のないこと”であり、その覚悟が必要というのも否定出来ないトコロだとも思います。
嫉妬は羨望の副作用なわけですし。

そこで“サケノツマミ”になるのは甘んじて受けなさい、と。

ただ、叩かれ役はあくまで“ヒールレスラー”的な立ち振る舞いが許される範囲内という前提だと思う。

そういう意味で、実は元祖たるベッキーは秀逸だったんですよ。

あの報道が出る前から、ベッキーには明るい前向きキャラの裏で「実は腹黒い」的な認識をする層が多数いて、バラエティーでもそれ前提でイジる人がいて活きるという、そういう感じで存在していたわけで。

だから報道が出ても、小学生位のファンやピュアなwワイドショーおばちゃん以外は、特に意外性もなくむしろ“やっぱり”的に受け止めている人の方が多い位だったはず。

でもマスコミやコメントする芸能人は、「元気で素直なベッキーちゃんがショックー」みたいな“プロレス”をすることで“メシノタネ”として消化しようとしたわけです。

一方ゲスの川谷クン。
元々“芸能界”というトコロから距離を置いた音楽畑にいる人で、ワイドショー好きなピュアな(これが言いたいだけになってるw)オバチャンには刺激が強すぎるオイタも重ねて来てるであろう“純然たるクズミュージシャン”(ある意味褒め言葉)と推測されるわけで、ぶっちゃけ反省もしてなきゃ痛くも痒くもないのが本音でしょう。

“謝ったふりして舌出して”そのものかと。

んで彼がいい感じにブサイクだったのも、世の男の羨望・嫉妬を煽るには秀逸。

てなわけで、かなりいい感じに香ばしい、しかもポテンシャルも高いレスラーがキャスティングされていたわけです。

ところが、この素晴らしい素材に対し、絶望的に料理の仕方を誤った。

ズレた政治家とか、ピュアなワイドショーオバチャン、ヒマかつ世間に触れないから勧善懲悪を貫く潔癖ネット住人なんかが、“ガチ”で受け止めて、マジで批判するという事態・流れが起こってしまった。

しかもあろうことにマスコミが、その波の方に流れてしまった。

この誤った舵の切り方が、最終的に日本を代表する音楽家・プロデューサーを追い込むまで膨れ上がった元凶だと思います。

当時かなり叩かれた、悪ふざけで“熊切あさみと一緒にラインのやり取りを音読した”東野浩二の扱い方が正解だったわけです。

僕が思うに、

「ワライモノ」にしなければいけなかったところを、「ワルモノ」にしてしまった

ここが絶望的に間違いだったと思う。

判断基準を「ワライモノ」と置くと、意外と切り分けが明確になるんですよ。

例の「センテンススプリング」とか、議員でありながら電車で手を繋いじゃう今井絵里子なんて、思う存分“笑える”でしょ?

でも小室とかエビゾーで誰が笑えるの?って話になるし、そこで笑う人マジでヤバいでしょ?と。

だから「ワライモノ」としてみたらベッキー・今井はOK、小室・エビゾーはNGという明確な線引きが出来る。

でも「ワルモノ」としちゃうと、両方通ってしまうわけで。

だから文春をはじめとする週刊誌は、自分たちの役割が「ワルモノ」を炙りだして晒すことではなく、「ワライモノ」を掘り出して“サケノツマミ”“ハナシノネタ”を提供することであると再認識して欲しいと思います。

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