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どこぞの馬の骨が、ダラダラと浅い知識を殴り書くブログ。

シン・ゴジラを見た

遅ればせながらレンタルDVDでシン・ゴジラを見ました。

 

 

感動した!とか、これはメチャメチャスゲェ!!という程ではないですが、噂にたがわぬしっかりした造りで、安心して楽しめる快作という印象です。

散々言われつくしてますが、初代へのリスペクトであり、ゴジラの根幹である「核に対する警鐘」というのを明確にしつつ、東日本大震災時、福島原発への対応での小田原評定っぶりを皮肉った無能な政府の描写が秀逸です。

特に第2形態のゴジラに対し、ふたりの犠牲者を出すことに躊躇し攻撃を中止、後に何十倍もの被害を生んでしまうとこ、あそこが肝ですね。

この作品、エヴァの人が総監督という事で話題になってましたが、僕はエヴァを全く知らないのでその凄さは伝わってこないわけですが…苦笑

とにかく感じたのは、映画に限らずこの手の作品は

“民主主義的な体制で、女子供に日和った意見を取りれて作るとロクなモンにならない”

ということ。

この作品を見てると、ひとりの“軸”となる才能のある人間がいて、その人が半ば独裁的に作った方が上手くいく可能性が圧倒的に高いというのが分かりますね。

スポンサーやテレビ局による「子供にもウケるし、オモチャも売れるからもっと怪獣を出して派手に暴れさせましょう」とか「AKBやジャニーズの子を入れましょう」てな提案。

100人いたら95人位までが“それをしたらクソになる”と分かりながらも、何かのパワーバランスにより何故か採用しなきゃいけないアイデア。

この手のコトは日常、会社の仕事でも多々ありますが…苦笑

こういうのを入れずに済んでいる、つまりそれらを突っぱねられる“権力”があったというのが成功の最大の要因でしょう。

北野作品なんかもそうでしょうが、芯のある作品を作るためには“圧倒的な実権”を持つ者の存在が不可欠というのが分かります。

とはいえまぁ、気になる点もあるといえばあって…

一番は、最終形態になったゴジラに“可愛げ”と“哀愁”がないとこ。
第2形態でのレトロ怪獣パロディーの流れを、最終形にも残してほしかった。

ゴジラってのは、それ自体が人間の“被害者”であり、決して“ワルモノ”ではないわけでね。

『“人食いグマ”は山にエサが無くなって仕方なく人里に下りてきただけ』的な描き方、それが必要かと。

だから、やっぱり初期の頃のゴジラが持ってた“可愛らしい”表情とか、やられる時に“何か可哀想…”って思わせる脆い感じは残して欲しかったですね。

あの最終形態後半の無双っぷりじゃ感情移入は出来んぞ…

それに人間側もステルスの爆撃や弾道ミサイルでの攻撃でダメージ与えてもなぁ…、と。
戦闘機や戦車からの直接攻撃を受けて出血したり倒れたりすることではじめて、“ゴジラ可哀想”感が出ると思うし。

んでやっぱ戦闘機は手ではたかれ、戦車は踏まれないと
個人的にはそこにリアリティはいらんぞ、という気はしましたね。

だって最終的に電車を爆装してツッコませたり、タンクローリーとコンクリート吹付車を使っての近接作業なんていうビックリドッキリ作戦を展開するわけでね(このアナログな感じはメチャメチャアガる素晴らしい案だと思う)

ここに至る流れの中で、ゴジラと近代兵器のリアルな描写はあまり有効ではないかなぁ、という印象がありました。

とはいえ日本発のこの手の作品ではアタマひとつもふたつも抜けてる完成度であることは事実。

それに変にCGのクオリティとかで争わず、「今の予算と技術で出来ることを最大限に活かす」という感じなのも良いです。
そもそもこの精神こそが“円谷イズム”なわけですし。

あの終わり方だと当然続編も期待できるし、次は“劇場に行こう”という気になりました。

 

 

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